2021年10月4日

実は極上の逸品だった、母が趣味で漬け続けていた自家製梅酒【紀州本庄うめよし】

実は極上の逸品だった、母が趣味で漬け続けていた自家製梅酒【紀州本庄うめよし】

梅酒ファンの皆さん、こんにちは。
梅栽培が盛んな和歌山県日高郡みなべ町で、梅農家「紀州本庄うめよし」を営んでいる山西です。
土壌づくりからこだわる自社農園で育て上げた梅を使用し、梅干しや梅酒の製造を行っています。
今回は、梅酒のお話、というより、私の父と母のお話をさせていただきます。
今ある製品へのこだわりやプライドをお伝えしようと思うと、梅を愛してやまない両親のエピソードなしには語れません。

結婚を機に「梅干屋」をはじめた親父とおふくろ

現在は会長を務める父・山西一善(72歳)は、和歌山県みなべ町の梅農家の長男として生まれました。
その父の元に、母・啓子が嫁いだのが1971年のこと。
それまでは梅の栽培のみを行っていましたが、結婚と同時期に梅干の加工をはじめ、梅干屋としての歴史がスタートしました。

実はその時から、母は趣味として、毎年梅酒を漬け続けていました。もちろん、売るための物ではありません。あくまでも、趣味でした。
じゃあ、自分たちだけで楽しんでいたのかと言えば、そうではなく。これがまた不思議な話で、実は私たち山西家にお酒をたしなむ者は一人もいないのです。

毎年、梅酒を作ってはいるのに、誰も飲みません。そうなると当然、梅酒はほとんど減らないので、大部分は蔵で保管する流れに。
気がつけば、長期熟成の梅酒がたくさんできあがっていたんです。

人気番組『ロンドンハーツ』が風の噂を聞きつけて

そんな「梅酒の持ちぐされ」状態だった山西家に最初の転機が訪れたのは、2005年のことでした。
どこから噂を聞きつけたのか、「年代物の梅酒がたくさん眠っている」との理由で、人気テレビ番組『ロンドンハーツ』の撮影が来ることになりました。
これまで何度か、梅料理などでの取材を受けたことはありましたが、梅酒の取材依頼は初めて。番組名もさることながら、とにかく驚いたことを覚えています。

その撮影中のことです。
和歌山までロケに来てくれたロンドンブーツ1号2号の田村亮くんが、母の作った梅酒を飲んで一言。
「お母さん、この梅酒おいしい。絶対に売れるで~」と言ってくれたのです。

隣で見ていた父には、田村亮くんのこの言葉が、神のお告げの様に感じたそうです。
撮影翌日には、「梅酒を売れるようにしたい」と言い出しました。

ロンドンブーツ田村亮さんの言葉に熱くなった父の“本気”

梅酒を販売したいと言い出した父と、長年趣味で梅酒を作り続けていた母のため、どうすれば販売できるかを調べました。
厄介なことに、一般のお客さまのために製造して販売するには、様々な許可が必要だということが分かりました。

父にその事実を伝えると、「今すぐには無理でも将来的には販売できるように」との返事。
結構、本気です。かなり、熱くなっています。
そこで、まずは手始めに他社のお酒を仕入れ、通信販売で売るための販売免許を取得することにしました。
最初は細々と、一般の方に販売できる道を探っていましたが、数年後に次の転機が訪れたんです。

高いハードルを超えるきっかけは「みなべ町梅酒特区」制度

一般への販売許可を得るには、年間6千リットルを製造できる前提がないと許可が降りないなど、たくさんのハードルがありました。
そのタイミングで舞い込んできたのが、「みなべ町梅酒特区」の話。これはまさに、今で言う「神ってる」できごとでした。

「みなべ町梅酒特区」に参画すれば、町内で栽培された梅を原料にした梅酒は、製造量が千リットルと少量でも酒造免許を取得できるという有り難い条件。
私たちにとって、この話に乗らない理由はありません。
みなべ町役場でおこなわれた説明会に、前のめりになって参加しました。

絶対製造免許取得!! いち早く申請!!
父のプレッシャーも半端じゃありません。
説明会の翌日には、製造免許取得のために動きはじめ、「必死のパッチ」で申請書を作りました。

その甲斐もあり、翌2009年にリキュールの製造免許が降りました。
同年6月、念願叶って、一般販売を視野に入れた梅酒を漬込むことができたのです。

リップサービスを疑っていた「おいしい」は、ガチだった

テレビ番組への出演、地元の制度活用を経て、山西家は梅酒の製造・販売をはじめました。
こう言っては何ですが、梅酒のニーズやターゲット、販売先などまでをじっくり考えて梅酒を作ろうと思ったのではないのです。

自分たちでは飲まない梅酒を漬け続けてきた母。
そして、田村亮くんの言葉に漠然とした可能性を感じ、梅酒を売ると言いだした父。
この2つが重なって、梅酒を製造・販売することになった。
お恥ずかしながら、それだけのことです。

私は当時、田村亮くんが言ってくださった言葉は、テレビ用のリップサービスである可能性も十分あると思っていましたが…、どうやら違うことにも気がつきました。

母が「こだわり」とも感じずに、毎年欠かさず漬けていた梅酒のレシピ。
販売に向けた申請書類を作りながら、原材料などをよくよく確かめてみると、なかなか「こだわり」の詰まったレシピじゃないかと思ったんです。
もしかしたら、本当においしい梅酒、本当に誇れる梅酒なんじゃないかと…。

自社農園だからこそ生まれた山西家特製「こだわり梅酒」

母親お手製の梅酒のレシピを紐解くと、この通り。

  • 素材=自社農園で収穫した完熟南高梅(樹上完熟の良質の梅を使用)
  • お酒=ブランデー(ちょっと高価なお酒)
  • 砂糖=氷砂糖(ゆっくり果汁を抽出してくれる)

使用している梅の分量は普通の梅酒より多めで、趣味で作るレベルのものじゃなかったんです。

あと、おいしい梅酒ができる理由をよくよく考えると、自社農園を会社近くに持っていることも大事なんだと気づきました。
南高梅の漬け頃がリアルタイムに確認できたり、収穫してすぐに梅酒を漬け込むことができたりと、良いことづくし。
自分たちにとって当たり前のことが、味の良い梅酒をつくる秘訣だったんだと気づかされました。

田村亮さん絶賛の『善 ZEN』を筆頭に5種類の梅酒を販売

田村亮くんに「おいしい!絶対売れる!」と褒めていただいた、ブランデーベースの梅酒は、後に『善 ZEN』と名づけ発売することができました。

「みなべ町梅酒特区」の制度を利用し、販売がはじまってから早13年。
現在、梅酒のラインナップは5種類にまで増えました。

  • 泡盛ベース梅酒『壱 ICHI』
  • ブランデーベース梅酒『善 ZEN』
  • 日本酒ベース梅酒『縁 ENISHI』
  • 泡盛古酒ベースあらごし梅酒『操 MISAO』
  • ウィスキーベース梅酒『啓 HIRAKU』

どの梅酒も、自家農園で育てたみなべ産の梅を贅沢に使用しています。
漬け込むお酒は、全国の酒蔵さんが銘柄で販売しているおいしいお酒を取り寄せています。
母が継続して漬け込み、父のひらめきと行動力から生まれた、山西家自慢の梅酒たちです。
自宅で少し贅沢する機会があれば、ぜひ飲んでもらいたいです。

商品名の漢字1字それぞれに「意味」と「愛着」

お気づきの通り、商品名はすべて漢字1文字です。
カッコいいからとか、それっぽいからと適当に決めた訳ではなく、ちゃんとそれぞれに意味があります。

「壱」→みなべ町梅酒特区を第1号で取得したから
「善」→父の名前の一善から1文字を拝借。壱と善で一善
「縁」→様々な出会いや縁がありできた梅酒
「操」→南高梅生誕50周年の前日に100歳になった祖母の名前
「啓」→母の名前の啓子から1文字を拝借

すべて愛着のある文字だからこそ、大切に商品を扱う心持ちにもつながっています。
また、この商品名のおかげで梅酒が売れたことも多々あるんです。

一番印象に残っているエピソードが、長男「壱」くん、次男「善」くんを育てているご家族からのご注文でした。
善くんが生まれた時、その出産祝のお返しにと、梅酒の『壱』と『善』を注文していただきました。
ものすごい偶然と、あまりの嬉しさに、壱くんと善くんの兄弟に通販カタログの表紙を飾ってもらうことにしました。
これは今でも、宝物の号として大切に保管しています。


株式会社紀州本庄うめよし

自社農園と会社があるのは梅栽培の盛んな、和歌山県日高郡みなべ町。
自社農園では、土壌づくりからこだわることで、質の高い梅を育て上げている。
販売する梅干しや梅酒のすべてにその梅を使用。
山西会長、そして後を継いだ山西社長の梅農家としてのプライドや、強いこだわりを製品に反映させている。